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<<   作成日時 : 2011/10/18 18:27   >>

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観音寺の市街地を抜け、財田川の下流に架かる3つのアーチを持つ三架橋(さんかばし)に差し掛かると、対岸に琴弾神社の鳥居が見えてくる。

今では何にでも日本百名何某といった名称を作ってしまうが、この橋もご多分に漏れず、日本百名橋に名を連ねている。

以前は琴弾八幡宮を参賀するということから、参賀橋と呼ばれていたようだ。

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神恵院と観音寺は、同じ境内に同居している珍しい霊場だ。

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神恵院本堂

68番札所神恵院略縁起
法相宗の日証が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年に弘法大師(空海)が阿弥陀如来を描き本尊として安置し、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めた。
以来明治初期までは神宮寺として琴弾八幡宮が第68番札所であった。しかし明治政府による神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院とに分離されることになり、神恵院は麓にある観音寺境内に移され、阿弥陀如来像も移転に伴い観音寺境内の西金堂に移され現在に至る。


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69番札所観音寺が、開基も創建の時期や由縁も、神恵院と同じである。

神恵院の本堂はコンクリート造りで近代的だが、観音寺の本堂は、国指定重要文化財に指定されており、対照的である。

琴弾公園には珍しいものが有ると云うので、象ヶ鼻岩銭形展望台まで足を伸ばした。

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縦122m、横90mの、寛永通宝を模した巨大な砂絵である。

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寛永通宝が鋳造されたのは寛永13年からであり、いわれに書かれている寛永10年(1633年)となると、いささか眉唾もので矛盾している、となると、『この銭形を見た人は健康で長生きできて金に不自由しなくなる』は、はたして・・・

この砂絵を写した観光パンフレットを見ると、寛永通宝の文字が鮮やかに映し出されているが、これは写す時間に左右されるのではないかと思う。

陽の射す位置が低い、朝早く或いは夕方近くのほうが、影がより濃くなるような気がする。

因みにこの写真の撮影データは、13時28分となっている。

そろそろ今夜の宿を決めなければいけない時間だ。

横を流れる財田川を2キロほど遡った、ビジネスホテル観音寺に電話を入れて、空き部屋を確保した。

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